年末の12/21~28、台湾の中南部(高雄、台中、台南、台東)に遊んだ。
台中で開催されるシンポジウム「ポストモダン期を迎えた歴史都市の景観まちづくり」(京都景観フォーラム、台湾の東海大学の共催)と関連ツアーに同行させていただいたもの。旅の合間にライブ感覚でアップしたフェイスブックの記事をもとに、記録用にブログに書きとどめた。
「ニュータウンの再生」とともに、現役時代は景観関連の仕事もしていた。52歳を迎えた千里ニュータウンもそろそろ歴史的資源の保全活用がテーマになる。こんな屁理屈も並べながら、21日、関空からLCCのピーチに乗った。

高雄国際空港から地下鉄に乗ろうとしたが、インターネット接続ができず、どの駅に向かっていいか分からない。案内所でホテル名と住所を示すと、美麗島駅の六合通と分かった。地下鉄美麗島駅で下車、かなり行き過ぎたところを引き返して、ゲストハウス「あひるや Ahiruyah」を見つけた。

あひるやは、日本人が日本人観光客のためにつくった、安い・清潔・安心の三拍子そろった宿。
着くなり、台湾ビールとスナック菓子で一息ついた。

夕方、一日早く到着していた京都グループに合流。夜は、火鍋の店に行った。

牛と羊の肉、野菜をぐつぐつ煮ながら食べる。
台湾の料理はたいがい美味しいが、肉の多い火鍋は、やや苦手な部類に入る。

そのあと、宿と同じとおりにある有名な「六合夜市」によった。
ありとあらゆる食材、料理・食べ物が並び、いきなり台湾の食文化に放り込まれた。

野蓮(蓮の長い茎)、オオタニワタリ(山菜)、食用蛙、鶏、豚、魚、貝類、つみれ、豆腐・・・すさまじいパワーです。

台中で開催されるシンポジウム「ポストモダン期を迎えた歴史都市の景観まちづくり」(京都景観フォーラム、台湾の東海大学の共催)と関連ツアーに同行させていただいたもの。旅の合間にライブ感覚でアップしたフェイスブックの記事をもとに、記録用にブログに書きとどめた。
「ニュータウンの再生」とともに、現役時代は景観関連の仕事もしていた。52歳を迎えた千里ニュータウンもそろそろ歴史的資源の保全活用がテーマになる。こんな屁理屈も並べながら、21日、関空からLCCのピーチに乗った。

高雄国際空港から地下鉄に乗ろうとしたが、インターネット接続ができず、どの駅に向かっていいか分からない。案内所でホテル名と住所を示すと、美麗島駅の六合通と分かった。地下鉄美麗島駅で下車、かなり行き過ぎたところを引き返して、ゲストハウス「あひるや Ahiruyah」を見つけた。

あひるやは、日本人が日本人観光客のためにつくった、安い・清潔・安心の三拍子そろった宿。
着くなり、台湾ビールとスナック菓子で一息ついた。

夕方、一日早く到着していた京都グループに合流。夜は、火鍋の店に行った。

牛と羊の肉、野菜をぐつぐつ煮ながら食べる。
台湾の料理はたいがい美味しいが、肉の多い火鍋は、やや苦手な部類に入る。

そのあと、宿と同じとおりにある有名な「六合夜市」によった。
ありとあらゆる食材、料理・食べ物が並び、いきなり台湾の食文化に放り込まれた。

野蓮(蓮の長い茎)、オオタニワタリ(山菜)、食用蛙、鶏、豚、魚、貝類、つみれ、豆腐・・・すさまじいパワーです。

スポンサーサイト
2015.01.14 / Top↑
台湾2日目、この日から3日間は公式行事です。
高雄の左営駅から新幹線に乗って台中へ。所要時間は約1時間。

バスに1時間ぐらい乗って台中の都心に到着。
宿は、ややラブホテル風・・・

荷物を置いて、台中のまちあるきへ。
台中は、19世紀末、ここを台湾の中心地にしようと考えた日本によって、計画的につくられた。
その後、河川に挟まれた台中は水害の恐れがあったので台北に移った。
現在は、台北、高雄につぐ台湾第3の都市。
日本統治時代につくられた中心市街地には、煉瓦造の洋風建物があちこちに残る。
かつて薬局だった建物(現在は菓子店)の2階にある資料室には、辰野金吾の設計?
(あるいは辰野金吾の作風を感じさせる?)と書かれていた。
手前の建物は、格天井を有する格調高い銀行・・

宮原眼科。日本時代の診療所をパイナップルケーキやチョコレートの店に改修して、名前ごと使用している。
おしゃれな外観や内装などが有名になり、若者のデートスポット、観光名所になっている。

台湾の本格的な国づくりは、19世紀末の日本統治時代に始まる。
その頃の面影を残す建物は、台湾の近代のルーツ・・・
このような考えからか、日本時代の建物を保存・再生する動きが活発になっている。

国鉄台中駅。東京駅と同じ辰野金吾の設計です。
堂々として風格の感じられる建物は、大切な文化財。
パイプを用いた斬新なデザインの新台中駅が建設されており、この建物は近くへ曳家されるとのこと。

その後、中区再生基地へ。
東大に留学していたという蘇先生から、台中の街の歴史や構造、再生プロジェクトについて興味深い話を聞いた。中心市街地にあるビルの約半分が空きビルとの話にはびっくり。政府も市民も、新しい建物を建てたり、都市を拡大することに関心があり、古い建物の保全再生には理解が得られないとのこと。そんな中で蘇先生は、学生・市民を巻き込みながら、中区の再生を精力的に頑張っている。

再生基地の階段・・・何とも美しいカーブを描いていた。

夜は、東海大学(ミッション系)へ。チャペルは、有名なI・M・ペイの設計です。

京都グループの中村さんによる講義、そして日本メンバーの紹介

夜は、京大に留学していた陳先生に案内されて、海鮮料理の店へ。
他の先生方も合流され、楽しい多文化交流の場になった。

高雄の左営駅から新幹線に乗って台中へ。所要時間は約1時間。

バスに1時間ぐらい乗って台中の都心に到着。
宿は、ややラブホテル風・・・

荷物を置いて、台中のまちあるきへ。
台中は、19世紀末、ここを台湾の中心地にしようと考えた日本によって、計画的につくられた。
その後、河川に挟まれた台中は水害の恐れがあったので台北に移った。
現在は、台北、高雄につぐ台湾第3の都市。
日本統治時代につくられた中心市街地には、煉瓦造の洋風建物があちこちに残る。
かつて薬局だった建物(現在は菓子店)の2階にある資料室には、辰野金吾の設計?
(あるいは辰野金吾の作風を感じさせる?)と書かれていた。
手前の建物は、格天井を有する格調高い銀行・・

宮原眼科。日本時代の診療所をパイナップルケーキやチョコレートの店に改修して、名前ごと使用している。
おしゃれな外観や内装などが有名になり、若者のデートスポット、観光名所になっている。

台湾の本格的な国づくりは、19世紀末の日本統治時代に始まる。
その頃の面影を残す建物は、台湾の近代のルーツ・・・
このような考えからか、日本時代の建物を保存・再生する動きが活発になっている。

国鉄台中駅。東京駅と同じ辰野金吾の設計です。
堂々として風格の感じられる建物は、大切な文化財。
パイプを用いた斬新なデザインの新台中駅が建設されており、この建物は近くへ曳家されるとのこと。

その後、中区再生基地へ。
東大に留学していたという蘇先生から、台中の街の歴史や構造、再生プロジェクトについて興味深い話を聞いた。中心市街地にあるビルの約半分が空きビルとの話にはびっくり。政府も市民も、新しい建物を建てたり、都市を拡大することに関心があり、古い建物の保全再生には理解が得られないとのこと。そんな中で蘇先生は、学生・市民を巻き込みながら、中区の再生を精力的に頑張っている。

再生基地の階段・・・何とも美しいカーブを描いていた。

夜は、東海大学(ミッション系)へ。チャペルは、有名なI・M・ペイの設計です。

京都グループの中村さんによる講義、そして日本メンバーの紹介

夜は、京大に留学していた陳先生に案内されて、海鮮料理の店へ。
他の先生方も合流され、楽しい多文化交流の場になった。

2015.01.13 / Top↑
3日目は、ツアーのメインプログラム、東海大学との合同シンポジウム。
宿からタクシーに約30分乗って大学へ。これでもタクシー代は約1000円。
台湾では食べ物とともに公共料金が安い。
立派な会場に参加者は150名ぐらいか。
大学側の挨拶、京都メンバーによる京都の景観まちづくりの紹介(街並み、鴨川、運河、七条通、広告など)、ディスカッション、総括の順に無事に終了。

昼は、学生を含む参加者全員に弁当が配られた。
駅弁風の弁当は、日本から輸入されたものが定着したもののよう。
食べ終わると、参加者の全員がきちんと分別していたのに感心した。
生活のマナーは、よく言われるように日本以上です。

シンポジウムが終わってから、大学近くの東海芸術村へ。
若い人に人気の、おしゃれな通りのようです。

この日は、中国の流浪の民と言われる「客家(はっか)」料理の店へ。
参加者全員が2つのテーブルを囲んでノミニケーション。18年ものの紹興酒もいただきました。
台湾の先生方の品格とマナーの良さ、そして日本のことをよく知っていることに感心しました。

先生方に別れて、台中の郊外の新市街地へ
東京や大阪の風景と変わりません。

最近導入されたBRT(2連結高速バス)です。
バス専用レーンが設けられており、ここを一般車が走ると罰せられます。
3レーンのうち2レーンしか走れなくなったタクシーの運転手は、馬鹿な政策だとこぼすことしきり・・・

途中、茶房「無為草堂」へ。ここは、ミシュランの星をとったという有名な茶房のようだ。

中に入ると、池を囲んで部屋が配置され、なかなかの趣だ。

早稲田大学に留学経験があるという娘さんが、ていねいにお茶と菓子を出してくださった。
一般的な阿里山烏龍茶と最高級と言われる杉林渓烏龍茶をいただいた。

宿からタクシーに約30分乗って大学へ。これでもタクシー代は約1000円。
台湾では食べ物とともに公共料金が安い。
立派な会場に参加者は150名ぐらいか。
大学側の挨拶、京都メンバーによる京都の景観まちづくりの紹介(街並み、鴨川、運河、七条通、広告など)、ディスカッション、総括の順に無事に終了。

昼は、学生を含む参加者全員に弁当が配られた。
駅弁風の弁当は、日本から輸入されたものが定着したもののよう。
食べ終わると、参加者の全員がきちんと分別していたのに感心した。
生活のマナーは、よく言われるように日本以上です。

シンポジウムが終わってから、大学近くの東海芸術村へ。
若い人に人気の、おしゃれな通りのようです。

この日は、中国の流浪の民と言われる「客家(はっか)」料理の店へ。
参加者全員が2つのテーブルを囲んでノミニケーション。18年ものの紹興酒もいただきました。
台湾の先生方の品格とマナーの良さ、そして日本のことをよく知っていることに感心しました。

先生方に別れて、台中の郊外の新市街地へ
東京や大阪の風景と変わりません。

最近導入されたBRT(2連結高速バス)です。
バス専用レーンが設けられており、ここを一般車が走ると罰せられます。
3レーンのうち2レーンしか走れなくなったタクシーの運転手は、馬鹿な政策だとこぼすことしきり・・・

途中、茶房「無為草堂」へ。ここは、ミシュランの星をとったという有名な茶房のようだ。

中に入ると、池を囲んで部屋が配置され、なかなかの趣だ。

早稲田大学に留学経験があるという娘さんが、ていねいにお茶と菓子を出してくださった。
一般的な阿里山烏龍茶と最高級と言われる杉林渓烏龍茶をいただいた。

2015.01.12 / Top↑
台湾の旅、4日目は台中のまちあるきとセミナー
集合場所の中区再生基地に集まったのは、私たちの他に学生、一般市民など約40名?
蘇先生の案内でぶらぶらと歩きます。

最初に行ったのは、空きビルの1・2階を改造した建物。
1階は市民活動やコミュニティビジネスの支援センターのようなところ。
2階は、コミュニティビジネスの貸スペース。
ここで綾部で頑張っている塩見直紀さんの「半農半X」の台湾語訳を見つけた。
あとで塩見さんに連絡すると、「うれしいXmasプレゼントになりました」と喜んでもらった。

日本時代に立てられた建物。文化財等に指定されていないので、やや荒れている。
銀行?の頭取の住まいだったとか・・・

国鉄を横切ると、緑川が蛇行して流れている。
このあたり、とても落ち着いた雰囲気・・・
国鉄の高架化に伴いって鉄道遺産が失われようとしており、保全運動が始まっている。

日本時代の台湾ビールの工場を文創園区(クリエイティブセンター)へとリノベ-ションしている。
昨年の3月に訪問した台北にも、酒造工場、たばこ工場を再生したアートセンターがあった。
台湾では、日本時代の建物を保存し、今風にアレンジして活用する動きが活発だ。
台湾の本格的な国づくりは、約120年前の日本統治に始まっている。
日本政府は、台湾の近代化のために、日本の水準を上回るインフラや公共施設を整備した。
この頃の建物を壊すことは、国の近代化の歴史を消すことでもある。
戦後の約40年間、蒋介石の国民党に支配され、反日教育を受けたが、
その後の自由化とともに、台湾としてのアイデンティティを回復しようとしている。
その流れの中で、日本の統治時代が評価され、日本の文化への関心も高まっている。
台湾の人が親日であることの背景は、このようなところにあるようだ。

内部は、展示・パフォーマンスなどのスペースに活用。
酒文化館(資料館)もあった。

昼は、蘇先生の友人が設計し、運営しているという、台中で人気のホテルへ
従業員のまかないということで、なんとご馳走になりました。
この日だけでなく、台中での3日間、ほとんどの食事は大学側にご馳走になった。

そのあと、廃墟化したビル(かつてのバー&ディスコ)へ。
数年前、ドイツのアーティストを呼んで、アートのパフォーマンス会場として活用したとか。
窓ガラスのない、崩れそうな壁に鮮やかなグラフィック・・・

そのあと、再生基地でセミナー
NさんによるURの団地再生、Fさんによる安全な自転車走行のための空間・ルール整備のあと、
私は千里ニュータウン再生の話をさせていただいた。
別れ際、通訳を務めた日本語学科の学生が近づいて、「先生の『ニュータウン再生』を買って読みました。読みやすい本でした。サインしてください。」と。私の拙著が台湾まで?と驚きながら、喜んでサインさせてもらった。

そのあと、台中駅から電車に乗って台南へ2時間近い旅。

台南に到着。
台南駅も歴史を感じさせる落ち着いた建物だ。

ホテルに入ってから、オランダ統治時代の赤嵌楼近くの店の通路(騎廊)で遅い夕食。
川魚を豆鼓(とうち)で煮た魚など、台湾は屋台で食べる家庭風の料理が美味しい。
公式行事がすべて終わったので、みんな開放感に浸りながら、飲む・食べる・・・(^0^)

集合場所の中区再生基地に集まったのは、私たちの他に学生、一般市民など約40名?
蘇先生の案内でぶらぶらと歩きます。

最初に行ったのは、空きビルの1・2階を改造した建物。
1階は市民活動やコミュニティビジネスの支援センターのようなところ。
2階は、コミュニティビジネスの貸スペース。
ここで綾部で頑張っている塩見直紀さんの「半農半X」の台湾語訳を見つけた。
あとで塩見さんに連絡すると、「うれしいXmasプレゼントになりました」と喜んでもらった。

日本時代に立てられた建物。文化財等に指定されていないので、やや荒れている。
銀行?の頭取の住まいだったとか・・・

国鉄を横切ると、緑川が蛇行して流れている。
このあたり、とても落ち着いた雰囲気・・・
国鉄の高架化に伴いって鉄道遺産が失われようとしており、保全運動が始まっている。

日本時代の台湾ビールの工場を文創園区(クリエイティブセンター)へとリノベ-ションしている。
昨年の3月に訪問した台北にも、酒造工場、たばこ工場を再生したアートセンターがあった。
台湾では、日本時代の建物を保存し、今風にアレンジして活用する動きが活発だ。
台湾の本格的な国づくりは、約120年前の日本統治に始まっている。
日本政府は、台湾の近代化のために、日本の水準を上回るインフラや公共施設を整備した。
この頃の建物を壊すことは、国の近代化の歴史を消すことでもある。
戦後の約40年間、蒋介石の国民党に支配され、反日教育を受けたが、
その後の自由化とともに、台湾としてのアイデンティティを回復しようとしている。
その流れの中で、日本の統治時代が評価され、日本の文化への関心も高まっている。
台湾の人が親日であることの背景は、このようなところにあるようだ。

内部は、展示・パフォーマンスなどのスペースに活用。
酒文化館(資料館)もあった。

昼は、蘇先生の友人が設計し、運営しているという、台中で人気のホテルへ
従業員のまかないということで、なんとご馳走になりました。
この日だけでなく、台中での3日間、ほとんどの食事は大学側にご馳走になった。

そのあと、廃墟化したビル(かつてのバー&ディスコ)へ。
数年前、ドイツのアーティストを呼んで、アートのパフォーマンス会場として活用したとか。
窓ガラスのない、崩れそうな壁に鮮やかなグラフィック・・・

そのあと、再生基地でセミナー
NさんによるURの団地再生、Fさんによる安全な自転車走行のための空間・ルール整備のあと、
私は千里ニュータウン再生の話をさせていただいた。
別れ際、通訳を務めた日本語学科の学生が近づいて、「先生の『ニュータウン再生』を買って読みました。読みやすい本でした。サインしてください。」と。私の拙著が台湾まで?と驚きながら、喜んでサインさせてもらった。

そのあと、台中駅から電車に乗って台南へ2時間近い旅。

台南に到着。
台南駅も歴史を感じさせる落ち着いた建物だ。

ホテルに入ってから、オランダ統治時代の赤嵌楼近くの店の通路(騎廊)で遅い夕食。
川魚を豆鼓(とうち)で煮た魚など、台湾は屋台で食べる家庭風の料理が美味しい。
公式行事がすべて終わったので、みんな開放感に浸りながら、飲む・食べる・・・(^0^)

2015.01.11 / Top↑
台湾の旅5日目は、台南の街を歩いた。
朝、南華大学の陳先生と、大きなロータリー(ラウンドアバウト)に沿った台湾文学館で待ち合わせ。

日本時代の台南市役所に増築なども行いながら、文学館として利用している。
内部の展示の方法なども、台湾の人の繊細なセンスが感じられて、興味深かった。

台南随一の観光地、孔子廟近くの小学校
孔子廟と調和するように、塀を低くするなどオープンシステムでつくられている。

孔子廟・・・赤壁が印象的です。
小学校のレンガタイルの赤も、この赤壁に合わせたのでしょうか?

旧愛国婦人会館・・・日本時代を代表する婦人団体の建物とか。
外部・内部とも再生され、現在はクラフトセンターとして利用されている。

婦人会館近くにある有名な莉莉水果店は、リリー果物店というところでしょうか。
通路(騎廊)で美味しい果物をいただきました。

そのあと、孔子廟近くに戻った。
窄門と呼ばれる人一人通るのが精一杯の狭い露地を入ると・・

こんなに落ち着いたレストランがあり、みんなでお昼をいただいた。

そのあとは、陳先生と別れて、台南のもう一つの観光地、海沿いの安平(あんぺい)へ
オランダが統治していた時代の城塞、安平古堡(あんぺいこほ)
日本人の母との間に生まれた鄭成功(ていせいこう)がオランダから奪回した歴史などが紹介されていた。

土産物店が並ぶ有名な安平老街を歩き、牡蠣の殻を用いた灰窯文化館
(牡蠣殻を砕いて漆喰のような材料をつくっていた産業を紹介する資料館)を見学。
そのあと、運河に沿って港まで行ってみた。

そのあと、タクシーで再び台南中心部に帰り、林百貨店へ
古き良き日本時代を感じさせる風格ある建物・・・
商品も厳選されたものばかりで、台湾の人々のセンスの良さをまた感じた。

そのあと、タクシーに乗って桃園夜市へ
広大な空き地に所狭しと屋台が並び、たくさんの人でごった返している。
台湾風煮込みうどんのようなものをいただいた。
そのあと、電車で高雄へ

朝、南華大学の陳先生と、大きなロータリー(ラウンドアバウト)に沿った台湾文学館で待ち合わせ。

日本時代の台南市役所に増築なども行いながら、文学館として利用している。
内部の展示の方法なども、台湾の人の繊細なセンスが感じられて、興味深かった。

台南随一の観光地、孔子廟近くの小学校
孔子廟と調和するように、塀を低くするなどオープンシステムでつくられている。

孔子廟・・・赤壁が印象的です。
小学校のレンガタイルの赤も、この赤壁に合わせたのでしょうか?

旧愛国婦人会館・・・日本時代を代表する婦人団体の建物とか。
外部・内部とも再生され、現在はクラフトセンターとして利用されている。

婦人会館近くにある有名な莉莉水果店は、リリー果物店というところでしょうか。
通路(騎廊)で美味しい果物をいただきました。

そのあと、孔子廟近くに戻った。
窄門と呼ばれる人一人通るのが精一杯の狭い露地を入ると・・

こんなに落ち着いたレストランがあり、みんなでお昼をいただいた。

そのあとは、陳先生と別れて、台南のもう一つの観光地、海沿いの安平(あんぺい)へ
オランダが統治していた時代の城塞、安平古堡(あんぺいこほ)
日本人の母との間に生まれた鄭成功(ていせいこう)がオランダから奪回した歴史などが紹介されていた。

土産物店が並ぶ有名な安平老街を歩き、牡蠣の殻を用いた灰窯文化館
(牡蠣殻を砕いて漆喰のような材料をつくっていた産業を紹介する資料館)を見学。
そのあと、運河に沿って港まで行ってみた。

そのあと、タクシーで再び台南中心部に帰り、林百貨店へ
古き良き日本時代を感じさせる風格ある建物・・・
商品も厳選されたものばかりで、台湾の人々のセンスの良さをまた感じた。

そのあと、タクシーに乗って桃園夜市へ
広大な空き地に所狭しと屋台が並び、たくさんの人でごった返している。
台湾風煮込みうどんのようなものをいただいた。
そのあと、電車で高雄へ

2015.01.10 / Top↑