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昨日は、用事で大阪市内へ出かけました。
雨の中のまちあるきもいいもんだと、カメラ片手にぶらぶら歩きました。

地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅から東へ。
これは、愛珠幼稚園。銅座のあとに建てられたもの。

ホームページには、「主人花を愛すること、珠を愛するが如し」を園名の由来として、すなわち幼子がすくすくと伸びることを願って明治13年に創設されたとあります。

大阪府近代建築ガイドブックには、
「高塀と大屋根が印象的な御殿造り風の幼稚園舎。伝統的な外観に対し内部は先進的な育児空間が実現される。なかでも遊戯室は圧巻で、2層吹き抜けの大空間に格天井、アール・ヌーヴォー調の照明などの意匠が取り付く。」
と紹介されています。

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八木通商ビル。
近代建築のにおいがしますね。

「御堂筋を歩こう、建築ハイキングコース」のホームページには、
「辰野金吾が設計したレンガ造りの大阪農工銀行に、国枝博が外観を改装したものが八木通商ビルです。メインファサード部分にはイスラム建築に見られる華麗なアラベスクが施されています。」
とあります。昭和4年建設。

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左は緒方洪庵宅旧宅(適塾)です。
適塾の前が車の列だったので、西面を撮りました。

この広場は、正面のビル(日商岩井?)の公開空地です。
歴史遺産にふさわしいオープンスペースを提供しています。

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適塾に咲いていた梅です。
八重ですね。
今が盛りです。

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梅壇木橋まで行って、中之島の中央公会堂を撮りました。
吉本だけじゃない、文化都市大阪のシンボルです。

大阪市のHPには、
「2002年秋に3年にも及ぶ保存・再生工事を終えた、アーチと赤レンガが印象的な、ネオ・ルネッサンス様式の名建築。川辺に佇むその姿はじつに優美で、つい見とれてしまうほど。そもそも、大阪市中央公会堂は、1918年(大正7年)に北浜の株仲買人だった岩本栄之助氏の私財100万円の寄付により完成したもの。以来、ダンス・パーティやコンサート、講演会…と、文化と芸術の発信、交流の場として市民に広く愛されてきました。そして、2002年(平成14年)12月26日に、公会堂建築としては西日本で初めて、国の重要文化財にも指定されたのです。」
とあります。

この名建築に負けないよう、大阪市もとことん改革を進めましょう。

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2005.03.23 / Top↑
今日は大峰山系の大普賢岳(1,779m、奈良県)へ。
冬の大普賢岳は今回で3回目。
頂上は奧駈道だから、世界遺産をちらっと歩くことになる。

実は今年の1月中旬にも登ったのだが、新雪のラッセル続きで、大普賢岳はおろか手前の小普賢岳にも到達できず、敗退した山なのだ。

和佐又ヒュッテの奥さんから、このところの山の情報を収集する。
「1、2月の雪のあと、先週また大雪が降りましてね。大普賢岳は無理。小普賢岳までにしてください」
遭難でもされたら小屋の人は大変。だから、ちょっとオーバーに言うんだ。
「そうですか。で、もし小普賢岳から先に進んだら・・」
「地獄谷に滑落してなくなる方が多いですよ。3月は事故が多いんですよ・・」
聞くんじゃなかったな・・、名前も悪い・・、と思いながら、十分注意して登らねばと言い聞かせる。

小屋西のスキー場を登り(8時)、和佐又山への分岐からブナが混じる樹林帯へ入る。
しばらく行くと、後から白い犬。小屋の犬だ。
僕たちの前に進み、時々僕たちを振り返る。その仕草がかわいい。
(写真:ブナが現れ出す樹林帯)

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行場になっているシタンの窟、朝日窟、笙の窟と進み、アイゼンをつけながら休憩。
あとから来たベテラン風の熟年さんは、アイゼンをつけてさっさと出発。
日本岳のコルまでのルンゼを登る。
ここは1月に7、8人のパーティと一緒に、腰までの厳しいラッセルを強いられたところだ。

長い梯子を登り、石ノハナを過ぎ、斜面をトラバースしたのち、また梯子を登る。
梯子にこびりついた氷をピッケルで叩く。
梯子の最上部から斜面にとりつくところに手がかりがなく、いやらしい。
ピッケルを確実に固定してせり上がり、木の枝を掴む。
(写真:笙の窟で休憩中のワン君)

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小普賢岳からは、左にルートをとり、途中で急斜面に出くわし、手こずる。
下りきったコルからしばらくトラバース。
現れたルンゼの端を急登する。
そのあとルンゼをトラバース。下は地獄谷。スパッと切れている。
梯子を登り、氷の中に埋まったチェーンをピッケルで掘り出し、手がかりにしながら凸部を巻く。

次のルンゼは、トラバースする夏道ではなく、ピークに向けて直登する。
ルンゼの端を急登。雪面の下部は凍っているため、前の人がつくった穴にピッケルをしっかり打って身体を固定し、ステップを確実に刻んで登る。
ピッケルのありがたさ、大切さを改めて感じる。

残念ながら、この間の写真は一枚もない。
(写真:日本岳のコルへの登り)

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傾斜がやや緩くなり、しばらく進むと大普賢岳のピーク。(11時)
「おつかれさん」
曇り空の中に、南に弥山・八経ケ岳、釈迦ヶ岳、西に稲村ケ岳、山上ヶ岳が見える。
和佐又の小屋が小さく見える。

いつものにぎりで昼食。今日は失敗したイカナゴの釘煮を一杯入れた。
先に登頂していた小屋のワン君にも少しお裾分け。
あとから登ってきた熊取町の青年にも食べ物をせがむ。
「あんパン食べるか。甘いぞ。もっとほしい?、そら甘いわー。」
「おまえ、冷たいのによう登るなあ。その爪、アイゼンか?」
立て続けにしゃれを飛ばす。
やっぱり大阪人は、普通の人まで芸人や・・。
(写真:頂上から見る八経ケ岳・弥山方面)

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休憩のあと、下山開始。
1時間の間に、もう雪が腐り始めている。
登りで緊張したルンゼの下降やトラバース、凸部の巻き、梯子を注意深く過ぎ、小普賢岳のコル、小普賢岳、石ノハナ、日本岳のコル、笙の窟、和佐又分岐と進み、和佐又ヒュッテへ。(2時)

先に下山していた熊取の青年と、あそこはこうだった、ああだったと、今日の山行話で盛り上がる。
そして、冬の大普賢岳は確かに厳しいが、12本爪のアイゼンとピッケルを使える人だったら大丈夫・・・、という話がオチ?になった。

途中出会った登山者は、ほかに中高年の単独が3人、4人・2人・6人のパーティ、そして途中で引き返した女性1人。
だから今日、大普賢岳に入ったのは、我々と青年を入れて合計約20人。

連休で渋滞気味の大和路を通って大阪へ。
これが、この冬最後の雪山かな・・。
(写真:頂上で食べ物をもうもらえず、すねるワン君)

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2005.03.21 / Top↑
昨晩、コープミニでイカナゴの新子を2キロ予約。

今日の土曜日の午後は、千里で一緒に活動しているメンバーの集まりがあったのだが、頭の中にあるのは、「早く帰って、今日こそイカナゴの釘煮を成功させないと・・・」。

その会が終わってからの軽い飲み会で、Wさん(男性)がイカナゴの釘煮を炊いてきたばかり、と聞かされてびっくり。
しかも、砂糖は○○○糖、醤油はたまり醤油も使って・・・と、不良中年もたじたじの、なかなかの懲りよう。
瀬戸内海を中心とした「イカナゴの釘煮文化」の浸透度は相当なものらしい。
(写真:強火で一気に炊く)

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夕方、6時過ぎにやっとコープミニにたどり着く。
イカナゴの新子は、いつもは奥のケースから予約分が出されるのだが、今日は10パックばかりが店頭に並んでいる。
昨日はシケで入らなかったので、その分多いのか。
見ると2割引の値札。
6時頃を過ぎると値引きになるのだ。

「えー!!。で、予約した人は正価のキロ980円・・?」
と店のNさんに訪ねると、
「そうなんですよー。すみません・・。」
「でも、いいですから、そのまま持っていってください」
と言われ、ちょっと得した気分で家に帰る。
お得意さんって言うのは、こんなことを言うのだ。へへ。

実は、もう2時間ばかり待つと、半額になるのだが、そんな余裕は今日はない。
明日は早朝から大峰山系に入るのだ。
(写真:使った調味料とレシピ)

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今日は、この間見つけた「兵庫県イカナゴ謝恩実行委員会」という、ちょっとあやしそうなところが出しているレシピを参考にすることにした。
よく見ると、JF兵庫漁連とあるから、まあ大丈夫だろう。

イカナゴ2kg、醤油400cc、砂糖400g、酒100cc、みりん300cc、土しょうが100gを一気に強火で炊く。

今日は団子にならないように、みりんを多めにした。
煮汁が煮立ったところに新子を入れる際、「手で素早くかき混ぜる」と書いてある。
「そんなもんできるか・・」と思いつつ、やってみると全然熱くない。
これは新しい発見。
(写真:出来上がりをざるにあげる)

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強火で炊くこと、45分ぐらいか。
煮汁が少なくなったところで火を止め、ざるにあげて扇風機で一気にさます。

食べてみると、醤油と砂糖が煮詰まった、いつもの味。
でも、売っているように、一匹一匹が釘状にはなっていない。
新子がまだまだ小さいのだ。
でも、まあ、こんなもんか。
今日は成功としよう。
(写真:パックに詰める)

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出来上がりをパックに詰める。
岡山の友人や実家に送るべきかどうか、
○○さんにプレゼント・・・、などなど、いろいろ考えながら。

冷蔵庫にしまう前に、先日の大失敗作と比較してみた。
左が失敗作、右が今日の一応の成功作。
失敗作のひどさは歴然としている。

一応、勝率5割は稼げた。
僕は勝率と戦いながら、あと2、3キロはつくるんだろうな、多分・・。

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2005.03.20 / Top↑
今日は長女の大学の卒業式。
先日から、やれ袴だ、やれドレスだと、大騒ぎ。
「おまえ、結婚式みたいやなー」というと、
「みんなそうなんよ・・」。

今日は、朝6時に起きて、6時半に娘と一緒に出発。
なぜって、8時から着物と袴の着付けなんだとか。
やれやれ。
(写真:大学への桜並木)

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羽曳野丘陵の長い坂を登って行くと、桜並木。
桜のつぼみはまだまだ固い。
入学式に付き添ってきてからもう4年か。

娘が看護大学に行くと言ったとき、僕は賛成ではなかった。
というのも、手塩にかけた娘(?)を医者に “こき使われる!?”のが、
親としてたまらなかったからだ。
しかし、入学式に来てから考えが少し変わった。
建物がとても立派。
屋外、屋内ともによく考えられている。
それまでの看護学校?のイメージとあまりにも違っていた。

それと、博士後期課程に入学するという30代半ばの女性から、
「この大学は、博士後期課程まで備えた、
我が国ではもっとも充実した看護大学のひとつですよ」
といわれたから。

どうやら僕は、見かけや権威に弱いようだ。
(写真:正門前で記念写真の人たち)

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ロビーでパチパチ娘の写真を撮った。
袴姿が見たいといって駆けつけた彼とのツーショットも・・。
もちろん、親子並んでの写真も。
残念ながら、これらはお見せするわけには行かない。

会場のホールに入ると、袴、はかま、ハカマ・・・。
ほとんど“タカラヅカ”状態。
そして、みんなで写真の撮りあい。

式が始まる。
音楽がずっと鳴っている。どちらかというと坂本龍一風。
固くならず、砕けてもいない、それでいて式の厳粛さを保っている。
昔なら、シーン・・・とした中で行ったものだが。

学長の式辞の中では、看護は科学に裏付けられたものであり、
しかも実践を通じて追求されるものであると話されたことが印象的だった。

知事祝辞、来賓紹介、祝電紹介と続く。
看護士・・協会、助産婦・・、保健師・・、医師・・、理学療法士・・、作業療法士・・、
栄養士・・、と来賓紹介・祝電紹介が長い。
医療・看護の世界の複雑さを垣間見た思いだ。
(写真:式が始まる前の写真の撮りあい)

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次に卒業・修了証書の授与が博士後期課程、前期課程、学部、短期大学部・・と続く。
証書を受け取りに壇上に上がった代表者の中に男性が2人いた。
1人は”ギター侍”のような着物に紙の羽根を突けた”キューピット侍”のような格好をしていた。

うーん、ちょっと、いやいや大分ふざけてる・・・。
でも、大学側も事前に知って・・のことだろうな。

もうひとりは、パンダのぬいぐるみの格好で出てきた。
そのまま壇上に?・・と思ったが、上がる前に“かぶり”だけは脱いで上がった。
そのことが会場の笑いを誘った。

あとで娘に聞くと、
「あの学科は毎年変なことをするらしい。私らは真面目にやってるのに・・・」
とカンカン。

僕たちの時には、角棒をもったヘルメット姿が壇上に上がったものだが。
同じふざけでも、今の方が平和でいいか。

送辞、答辞と続く。
答辞は、短期大学、学部、博士前期課程、後期課程の順に4人が読み上げた。
それぞれに心打たれるものがあったが、4人は長い。
少し疲れた。
(写真:答辞を読む学生)

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約1時間半の式は無事終わり、僕の愛車フィットは千里へ。
娘はこのあと、中之島の○○○ホテル?で謝恩会とか。
その前に、新調した黒のドレスに着替えるそうな。

千里に帰ってから、少し嬉しそうに、
「今日、娘の卒業式に行きましてね・・・」と話すと、
○○さんが、
「あら、時代は変わったのね・・・」。
「いや、娘が来てほしそうに言うもんでね・・」。
「でも○○さんの入学式、卒業式に親が来ました・・?」。
そのとき、僕の心の中の感激の余韻は、シュルシュルと消えていった。

振り返ってみると、
僕の入学式に、親ははるばる岡山から来たが、
ヘルメット姿の学生に壇上を占拠されて、式は5分で終わった。
そして、卒業式には僕は出席すらしなかった。

まあ、娘の卒業式は出ても出なくてもいい。
しかし、僕の子育てがそろそろ終わりに近づいていることだけは確かだ。
(写真:卒業式が行われたホール)

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2005.03.18 / Top↑
先週は3日間、東京・千葉の4つのニュータウンを視察・ヒアリングさせてもらった。
その中の、オールド・ニュータウンこと、多摩ニュータウンで地域の元気づくりのために頑張っている2つの交流スポットのこと。

カフェ○○は、多摩センターからちょっとはずれた○○センターの中にある。
ランドスケープ&建築が専門の○○さんと奥さんが、「地域の人々が集まってお茶でも飲みながらしゃべったり、街のことを考える場所があったらいいな」と、家の近くで始められた事務所・まちづくり図書館・カフェ。

中に入ると、机、パソコン、壁沿いに図書、入り口付近に打ち合わせコーナー風の喫茶スペース。
喫茶店というより、居心地の良さそうな設計事務所ふう・・・。

ほぼ年中オープン。
月2回のワンデイ・シェフ・レストランも最近始めた。
一般の人が勿論利用できるが、○○さんが参加しているNPOなどの専門家集団の打ち合わせやパーティに利用されることが多いとか。

NPO的な活動を行うときに、最初に問題になるのが「集まる場所」だ。
いつ行っても“開いて”いて、一人になれたり、話ができるだけでなく、“打ち合わせ”や“ノミニケーション”ができる。
集まる人に情報が自然に伝わり、共有される。
そんな場所がNPO的な活動に果たす役割は大きい。
(写真:カフェ○○)

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奥さんは、多摩ニュータウンの地域通貨にも参加されている。
現在メンバーは100人、男:女=1:2、年齢は40~50代を中心に20~80代まで。
メンバーの多くは、各種NPO活動に参加している人とか。

地域通貨は、商店での商品との交換は行っておらず、あくまでサービス交換のツールとして使用。
元々、サービス交換のツールとして始まった地域通貨であるが、最近は地域通貨を使わなくてもサービスの交換が行われるようになったという話は、地域通貨がめざすところを言い得ているようで興味深かった。

このように地域通貨は、隠れた人的資源の発掘・活用や人的交流だけでなく、新しいコミュニティづくりにも効果があるようだ。

地域通貨の○○倶楽部の会員は、ほぼ100名で推移している。
「地域に拡大しないのは、実は居住者が生活に本当に困っていないから。高齢化が進む今後は、相互扶助のニーズが高まるのでは・・」と奥さん。
そうかも知れない。
(写真:いろいろな単位の地域通貨)

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○○福祉亭は、高齢化が著しい○○地区の空き店舗を活用したコミュニティレストランといったところ。
当初は○○市の事業としてスタートし、現在は50~60人のスタッフによるボランタリーな活動によって進められている。
食事・喫茶サービスの責任者は肝っ玉母さんの○○さん。全体のマネジメントを静かに見ているのが男性の○○さん。この組み合わせが絶妙。
(写真:○○福祉亭の内部)

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営業は10~19時、年中無休。
利用者は30~50人。
訪問したときには、ビールを飲む人、食事する人、スタッフに身体をもんでもらう人、囲碁を楽しむ人、おもちゃで遊ぶ子と親など、いろいろ。
(写真:囲碁を楽しむ人びと)

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僕たちは、コーヒー、生ビールのあと、念願の定食もいただいた。
この日のメニューは、揚げ肉団子とナス・シイタケ・ほうれん草の炒め物、切り干し大根の煮物、湯豆腐、漬け物。
特にハンバーグ風の肉団子がとても美味しかった。
(写真:美味しかった定食)

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2005.03.16 / Top↑