H大病院に入院・手術してから1ヶ月、退院してから3週間が過ぎた。
みなさんにご連絡をしなければと思いつつ、今日に至った。
ひと言で言うなら、大変元気に過ごしています。
この間のフェイスブック記事をもとに、この1ヶ月を報告します。
●3/23(月)、H大病院(呼吸器外科)に入院
●3/25(水)、まな板に載せられる私を祝福するかのような快晴!
午後12時半、背中への麻酔針がうまく刺さらなかったのか、何回もブスブス・・
そのたびに背中に鈍痛が走り、いい気はしなかった。
そのうちに意識がなくなり・・・

「不良中年さん、不良中年さん・・」の声で目が覚めると、手術は終わっていた。
意識が戻って直後に、背中に激痛を感じ、七転八倒
麻酔薬を入れていただいて納まったが、その間約5分・・・もうダメかと思った。
肺に転移した軟骨肉腫の細胞は、1ヶ月の間に7.5mmから15mmに拡大していたようで、
一度切除したのちに、再度切除したので、3時間の予定が4時間に及んだとのこと。
その日は回復室へ入り、何も飲まず・食べずの状態が翌朝まで続いた。
その間、気さくな看護師が1時間おきに訪ねてくるので、いろいろしゃべって気を紛らわした。
●3/26(木)、手術後約20時間、ベッドに起き上がって、写真を自撮りした。
横腹の切り口は約5cmと小さいけど、どういうわけか背中が痛く、思うように呼吸できない。
24時間が経過した頃、①床に立って、②足踏み、③歩いた。
①ができて50点、②ができて80点、③までできたら100点・・・もちろん満点!

●3/27(金)、手術後48時間経過
肺を十分機能させるために、病院内を約20分歩いた。
見舞いに来てくれた山の相棒と談話・・・「山の再開は3ヶ月後かな?」
午後、回復室から元の4人部屋に戻った。
48時間が経過したので、ドレインを抜いた。
夕方、H大のS先生、知人のHさんが見舞いに来てくださった。
その後、「ちょっと早いけど、痛みがないようなので」と、硬膜外麻酔の針も抜かれた。
普通に歩けるようになったので、院内のコンビニにおやつを買いに行ったり、持ち込んだパソコンで遊んだ。
●3/28(土)、終日、昨秋のシンポジウムの記録づくり
●3/29(日)、娘と孫たちが見舞いに来てくれて、しばらく歓談。
この日は、次の作業(ニュースレターの編集)も行った。

●3/30(月)、身の回りをきちんと片付けて、教授以下先生方の回診を待った。
その後、3つ目の作業(総会資料づくり)
約1年半前の手術のときには、ベッドが埋まっていたのか、手術後5日で追い出された。
この日は5日目なのだが、いっこうにその気配がない。
午後、主治医のK先生が訪ねて来られた。
「いつ退院しますか?今すぐでも退院できる状態ですが・・」
明日と言いたかったけど、「明後日の4/1はどうでしょう」
「では4/1にしましょう」となった。
●3/31(火)、終日ゆっくり過ごす。
この日、入院してきた75歳の男性としばらく歓談。
頑丈な身体、顔色が良い、はきはきとしたものの言い方・・
しかし、末期の肺がんのために、毎月1週間程度入院して抗がん剤を打っていること。
「データでは余名1年と言われているけど、くよくよしても仕方ない。何事も前向きにね。
お迎えが来たらそれまで。ただ、1年でくたばるつもりはないけどね・・・」
すごい人がいるもんだと感心した。
●4/1(水)、手術してから1週間目の朝、退院手続きをした。
その前に、お世話になったK先生と記念撮影・・・
生命に関わる手術が好きでも、楽しいのでもない。
しかし、腫瘍が見つかったからには、手術して切除するしかない。
医師・看護師のみなさんにお世話になり、自分を見つめる日々・・・
だから、ある意味貴重な体験であり、楽しい1週間だった。

バス、電車を乗り継いで、自宅に帰った。
迎える人のいない家だけど、やはり家は落ち着く。
西脇市比延地区にある高嶋町は、昔からタケノコの生産で有名なところ。
しかし、高齢化によって竹林の管理ができない。
この竹林を再生しようと、今年度から「竹林のオーナー制」が始まった。
アドバイザーとして計画づくりに関わった不良中年も1区画借りることにした。
入院中に電話したら、「出始めていますよ・・」とのこと。
●4/2(木)、タケノコが気になるので、車に乗って西脇まで出かけた。
白くて柔らかい絶品のタケノコ3本を収穫・・・
三田の姉の家にもっていって、タケノコの天麩羅、木の芽和えをいただいた。
病院の食事は美味しかったけど、娑婆の食事はもっと美味しい。

その後、タケノコが次々に出てくるようになり、4~5日おきにタケノコ爺さん・・・
収穫は毎回20~40本、千里の友人・知人、自治会メンバーにデリバリー
●4/10(金)、茹でたタケノコをもって娘を訪問。
タケノコご飯、タケノコの天麩羅を孫たちといただいた。

●4/16(木)、手術後のリハビリにと、約10年ぶりに友人と岩湧山に登った。
ウグイスの声、めずらしい春の花を愛でながら、約10km・・・
3ヶ月ぶりの山は足にやや堪えたが、呼吸(肺)は問題なかったのが嬉しかった。

●4/19(日)、娘と友人の家族といっしょに、西脇の竹林へタケノコ掘りに出かけた。
この日は、最高の50本・・・孫たちも楽しかったようだ。

このところ、柔らかくて美味しい西脇市高嶋町のタケノコをいただく毎日です。

これまでにタケノコを約40軒デリバリーしたが、掘るのも、配るのも力と時間が要る。
●4/22(水)、比延地区のまちづくり協議会の協力を得て、地元で販売することにした。
タケノコビジネス開始! 店頭に並ぶと、何となくプロの生産者の気分になる・・・(^0^)

●4/23(木)、手術後1ヶ月の検査にH大病院へ
臨床検査部(血液)、放射線部(X線)、呼吸器外科、整形外科、麻酔科の5箇所を回った。
現段階では、どこも問題がないようで、安心とともに感謝、感謝・・・
この分だと、意外に早くゴールデンウィークには、どこか遠征できるのでは?
そう思って山行きの計画を練っているところです。

みなさんにご連絡をしなければと思いつつ、今日に至った。
ひと言で言うなら、大変元気に過ごしています。
この間のフェイスブック記事をもとに、この1ヶ月を報告します。
●3/23(月)、H大病院(呼吸器外科)に入院
●3/25(水)、まな板に載せられる私を祝福するかのような快晴!
午後12時半、背中への麻酔針がうまく刺さらなかったのか、何回もブスブス・・
そのたびに背中に鈍痛が走り、いい気はしなかった。
そのうちに意識がなくなり・・・

「不良中年さん、不良中年さん・・」の声で目が覚めると、手術は終わっていた。
意識が戻って直後に、背中に激痛を感じ、七転八倒
麻酔薬を入れていただいて納まったが、その間約5分・・・もうダメかと思った。
肺に転移した軟骨肉腫の細胞は、1ヶ月の間に7.5mmから15mmに拡大していたようで、
一度切除したのちに、再度切除したので、3時間の予定が4時間に及んだとのこと。
その日は回復室へ入り、何も飲まず・食べずの状態が翌朝まで続いた。
その間、気さくな看護師が1時間おきに訪ねてくるので、いろいろしゃべって気を紛らわした。
●3/26(木)、手術後約20時間、ベッドに起き上がって、写真を自撮りした。
横腹の切り口は約5cmと小さいけど、どういうわけか背中が痛く、思うように呼吸できない。
24時間が経過した頃、①床に立って、②足踏み、③歩いた。
①ができて50点、②ができて80点、③までできたら100点・・・もちろん満点!

●3/27(金)、手術後48時間経過
肺を十分機能させるために、病院内を約20分歩いた。
見舞いに来てくれた山の相棒と談話・・・「山の再開は3ヶ月後かな?」
午後、回復室から元の4人部屋に戻った。
48時間が経過したので、ドレインを抜いた。
夕方、H大のS先生、知人のHさんが見舞いに来てくださった。
その後、「ちょっと早いけど、痛みがないようなので」と、硬膜外麻酔の針も抜かれた。
普通に歩けるようになったので、院内のコンビニにおやつを買いに行ったり、持ち込んだパソコンで遊んだ。
●3/28(土)、終日、昨秋のシンポジウムの記録づくり
●3/29(日)、娘と孫たちが見舞いに来てくれて、しばらく歓談。
この日は、次の作業(ニュースレターの編集)も行った。

●3/30(月)、身の回りをきちんと片付けて、教授以下先生方の回診を待った。
その後、3つ目の作業(総会資料づくり)
約1年半前の手術のときには、ベッドが埋まっていたのか、手術後5日で追い出された。
この日は5日目なのだが、いっこうにその気配がない。
午後、主治医のK先生が訪ねて来られた。
「いつ退院しますか?今すぐでも退院できる状態ですが・・」
明日と言いたかったけど、「明後日の4/1はどうでしょう」
「では4/1にしましょう」となった。
●3/31(火)、終日ゆっくり過ごす。
この日、入院してきた75歳の男性としばらく歓談。
頑丈な身体、顔色が良い、はきはきとしたものの言い方・・
しかし、末期の肺がんのために、毎月1週間程度入院して抗がん剤を打っていること。
「データでは余名1年と言われているけど、くよくよしても仕方ない。何事も前向きにね。
お迎えが来たらそれまで。ただ、1年でくたばるつもりはないけどね・・・」
すごい人がいるもんだと感心した。
●4/1(水)、手術してから1週間目の朝、退院手続きをした。
その前に、お世話になったK先生と記念撮影・・・
生命に関わる手術が好きでも、楽しいのでもない。
しかし、腫瘍が見つかったからには、手術して切除するしかない。
医師・看護師のみなさんにお世話になり、自分を見つめる日々・・・
だから、ある意味貴重な体験であり、楽しい1週間だった。

バス、電車を乗り継いで、自宅に帰った。
迎える人のいない家だけど、やはり家は落ち着く。
西脇市比延地区にある高嶋町は、昔からタケノコの生産で有名なところ。
しかし、高齢化によって竹林の管理ができない。
この竹林を再生しようと、今年度から「竹林のオーナー制」が始まった。
アドバイザーとして計画づくりに関わった不良中年も1区画借りることにした。
入院中に電話したら、「出始めていますよ・・」とのこと。
●4/2(木)、タケノコが気になるので、車に乗って西脇まで出かけた。
白くて柔らかい絶品のタケノコ3本を収穫・・・
三田の姉の家にもっていって、タケノコの天麩羅、木の芽和えをいただいた。
病院の食事は美味しかったけど、娑婆の食事はもっと美味しい。

その後、タケノコが次々に出てくるようになり、4~5日おきにタケノコ爺さん・・・
収穫は毎回20~40本、千里の友人・知人、自治会メンバーにデリバリー
●4/10(金)、茹でたタケノコをもって娘を訪問。
タケノコご飯、タケノコの天麩羅を孫たちといただいた。

●4/16(木)、手術後のリハビリにと、約10年ぶりに友人と岩湧山に登った。
ウグイスの声、めずらしい春の花を愛でながら、約10km・・・
3ヶ月ぶりの山は足にやや堪えたが、呼吸(肺)は問題なかったのが嬉しかった。

●4/19(日)、娘と友人の家族といっしょに、西脇の竹林へタケノコ掘りに出かけた。
この日は、最高の50本・・・孫たちも楽しかったようだ。

このところ、柔らかくて美味しい西脇市高嶋町のタケノコをいただく毎日です。

これまでにタケノコを約40軒デリバリーしたが、掘るのも、配るのも力と時間が要る。
●4/22(水)、比延地区のまちづくり協議会の協力を得て、地元で販売することにした。
タケノコビジネス開始! 店頭に並ぶと、何となくプロの生産者の気分になる・・・(^0^)

●4/23(木)、手術後1ヶ月の検査にH大病院へ
臨床検査部(血液)、放射線部(X線)、呼吸器外科、整形外科、麻酔科の5箇所を回った。
現段階では、どこも問題がないようで、安心とともに感謝、感謝・・・
この分だと、意外に早くゴールデンウィークには、どこか遠征できるのでは?
そう思って山行きの計画を練っているところです。

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2015.04.24 / Top↑
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