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3時間弱で前鬼の宿坊「小仲坊(おなかぼう)」に到着しました。
左の古い建物が宿泊所、真ん中の新しい建物はトイレです。
この施設の主、五鬼助義之(ごきじょよしゆき)さんの母屋は右手奥にあります。
手前に棚田状の土地は、かつて他の宿坊がたくさんあったところです。

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小仲坊の門です。
寺のような構えの立派な門です。

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僕たちは、風呂に入れていただいたあと、食事をいただきました。
昔ながらのお膳で出された食事に、気持ちが引き締まりました。
器の中には、高野豆腐・油揚げ・野菜の煮物、キウリの酢の物、
アスパラのおひたし、卵焼き、焼き塩鮭が入っており、
それにご飯、みそ汁の献立でした。
五鬼助さんのお話によると、小仲坊では伝統的に4足の動物は使わず、
蛋白質はせいぜい魚、玉子までだそうです。
山間にありながらのご馳走に感謝しながら、何杯もお代わりをしました。

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食事のあと、僕たちは五鬼助さんから興味深いお話を伺いました。
「今から約1300年前に大峯奧駈道を開いた役小角(えんのおづね)に仕えた
前鬼・後鬼の夫婦に5人の子どもがあり、その子どもが前鬼に5つの宿坊を設けた。」
「盛時には、ほかに約40もの宿坊があり、それぞれ奧駈講の会員をたくさん抱え、栄えた。
しかし、明治になり、修験道は国から解散を命じられ、次第に宿坊の数が減り、現在は小仲坊のみになった。」
「第61代目の当主である五鬼助さんは、小仲坊を弟やおじさんに任せて、
大阪でサラリーマンをしていたが、約10年前に前鬼に帰り、今日に至っている。」
(Photo:敷地内の階段と擁壁 頑丈なつくりから、往時の繁栄が偲ばれます)

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そう話す”平成の鬼”は、お話し好きで、笑顔が素敵な方でした。
しかし、土砂崩れで車が途中までしか入らない、標高800mの気候の厳しい場所での生活は並大抵ではないはず・・。
サラリーマンをやめ、奧駈の人々をもてなす生活を送らしめているのは、
前鬼・後鬼の末裔という自覚によるのでしょうか。
1300年の時間を経た、まさに世界遺産と言える”平成の鬼”の前で、
僕たちはなんだか、ありがたい気持ちになりました。
大峯奧駈道と奧駈、そして五鬼助さんの子孫と小仲坊が末永く続きますようにと祈りながら、
明朝早くの出発に備えて、床につきました。
(Photo:小仲坊の主人・五鬼助義之さん)

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2005.05.20 / Top↑
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