11月の中旬、千里の友人と紅葉が盛りの奈良・高円山(たかまどやま432m)に遊んだ。
高円山は、夏に戦没者慰霊と世界平和を祈る大文字の送り火が行われるところ。
10時、近鉄奈良駅から鹿が戯れる奈良公園へ

国立博物館を過ぎ、春日大社を横に見ながら、若宮神社へ

畑が残る高畑地区をうねうね歩き、ツバキとハギで有名な白毫寺へ
川沿いの道を上り、高円山の麓の道を南進

2つ目の池を過ぎたところを東海自然道に入ったけど、登山道らしいものがない。
テープを頼りに獣道のような道をしばらく進んだあと、引き返した。
「不良中年さんについて行ったら、遭難するわ・・」と、すっかり信用をなくしてしまった。
一つ目の池を越えたところを入ると、しっかりした道・・・
約30分ぐらい登ると、いったん平坦地に出て、さらに登ると・・・
とつぜん目の前に奈良盆地のパノラマが開けた。
12時、送り火の火床に到着!

20分ぐらい歩くと、奈良奥山ドライブウェイに出た。
ここも眺望が開け、歌碑が置かれていた。

10分近く歩いた、だだっ広いピークが高円山。
あとで分かったのだが、かつてホテルがあったが、その後撤去されたようだ。

上を見上げれば、秋の空に赤・黄の紅葉
Fさんが「雲がしあわせそう・・・」とつぶやくから、おもわずナイス!!

紅葉の絨毯の下で昼食です。
前夜、頑張ってつくった弁当・・・

昼食後、来た道を下山。
火床からは、北の柳生街道方面へ下り、能登川沿いに高畑へ歩いた。
そして、Fさんお薦めの旧志賀直哉邸へ・・

この建物を管理する奈良学園のホームページに「旧志賀直哉邸は、昭和初期に志賀直哉自身で設計したものです。数寄屋風の造りですが、洋風の様式も取り入れた当時としては非常に進歩的で合理的、美的な工夫を随所に凝しているのが特徴です。」とあるように、和と洋の良さを巧みに取り入れた名建築と思った。

その後、せっかく奈良に来たのだからと、奈良町へ・・
お目当ての居酒屋は時間が早くて入れなかったので、イタリアンのTrattoria Pianoにした。
ワイン、ハム、チーズ、ピザなど、どれも美味しく、奈良に来たらまた・・と思った。
ほろ酔い気分で近鉄奈良線に乗り込み、難波から千里へ・・・
千里の友人との低山歩きをしばらく続けるつもりです。

高円山は、夏に戦没者慰霊と世界平和を祈る大文字の送り火が行われるところ。
10時、近鉄奈良駅から鹿が戯れる奈良公園へ

国立博物館を過ぎ、春日大社を横に見ながら、若宮神社へ

畑が残る高畑地区をうねうね歩き、ツバキとハギで有名な白毫寺へ
川沿いの道を上り、高円山の麓の道を南進

2つ目の池を過ぎたところを東海自然道に入ったけど、登山道らしいものがない。
テープを頼りに獣道のような道をしばらく進んだあと、引き返した。
「不良中年さんについて行ったら、遭難するわ・・」と、すっかり信用をなくしてしまった。
一つ目の池を越えたところを入ると、しっかりした道・・・
約30分ぐらい登ると、いったん平坦地に出て、さらに登ると・・・
とつぜん目の前に奈良盆地のパノラマが開けた。
12時、送り火の火床に到着!

20分ぐらい歩くと、奈良奥山ドライブウェイに出た。
ここも眺望が開け、歌碑が置かれていた。

10分近く歩いた、だだっ広いピークが高円山。
あとで分かったのだが、かつてホテルがあったが、その後撤去されたようだ。

上を見上げれば、秋の空に赤・黄の紅葉
Fさんが「雲がしあわせそう・・・」とつぶやくから、おもわずナイス!!

紅葉の絨毯の下で昼食です。
前夜、頑張ってつくった弁当・・・

昼食後、来た道を下山。
火床からは、北の柳生街道方面へ下り、能登川沿いに高畑へ歩いた。
そして、Fさんお薦めの旧志賀直哉邸へ・・

この建物を管理する奈良学園のホームページに「旧志賀直哉邸は、昭和初期に志賀直哉自身で設計したものです。数寄屋風の造りですが、洋風の様式も取り入れた当時としては非常に進歩的で合理的、美的な工夫を随所に凝しているのが特徴です。」とあるように、和と洋の良さを巧みに取り入れた名建築と思った。

その後、せっかく奈良に来たのだからと、奈良町へ・・
お目当ての居酒屋は時間が早くて入れなかったので、イタリアンのTrattoria Pianoにした。
ワイン、ハム、チーズ、ピザなど、どれも美味しく、奈良に来たらまた・・と思った。
ほろ酔い気分で近鉄奈良線に乗り込み、難波から千里へ・・・
千里の友人との低山歩きをしばらく続けるつもりです。

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2014.12.01 / Top↑
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